友達の多さを自慢してドヤ顔する人っていますよね。
Facebookの友達の多さをはじめとして、リアルな友達の多さに関してドヤ顔する人。
でも、友達の多さをドヤ顔するってどうなんでしょう。
まあ、価値観の問題ですから他人についてどうこう言おうとは思いませんが、私の考えを述べておきたいと思います。
目次
友達の数(数字)は自慢にならない
友達の数は自慢になりません。
結局、数字の多い少ないの問題ですから。
私は「友達が1000人いる」っていったところで、1000人のうちどれだけの人が、あなたのことを隅々まで知っているのでしょうかと言いたいです。
ただ、「知り合い」が多いことは、いろいろな意味で役に立つことはあります。
「ゆる募」して必要な情報を得やすい
なにか困った時に、必要な情報を「ゆる募」するというような場合には助かりますよね。
また、自分や友人がイベントをする場合などには、一度に多くの人に告知することが出来ます。
このように、「友達」が多いことはなにかと都合が良いときもあります。
その他では、私にはメリットが思い浮かびません。
ちょっと批判したら、「友達」でなくなった
私はTwitterでもFacebookでも政治的発言や企業の批判をするなど、好きなように活用しています。
Facebookで「友達」になっていた方が、私の(たぶん)企業批判で「友達解消」しました。
長年、年賀状をやり取りする仲だったのですが、それも解消されました。
人の意見は様々で、中には自分に関係する会社や思想信条、政治的意見とは異なる場合があります。
これって、当然で、「友達」がみんな自分に心地よい発言をしたり、同様の意見を述べたりすることは稀です。
ですから、ある程度は自分と異なる意見に対して甘受する姿勢が求められるわけです。
これが出来ないとなると、もはや救いがたい。
ですから、「友達」を解消されたことになにも感じませんし、むしろ解消されてよかったと思います。
このような方はもともと「友達」でもなんでもなかったのですから。
結局、仮想「友達」ではないのか
意見をストレートに述べるということは、今の日本では、難しいかもしれません。
でも、もっと自分の意見を述べることをしてもいいと思います。
忌憚なく意見を述べあえる人こそが、真の友達ではないでしょうか。
ちょっと批判しただけで、キレて友達解消ってのは、結局は仮想「友達」ではないのか。
このような仮想「友達」がいくら多くても自慢にはなりませんよね。
まとめ
忌憚なく自分の意見を言い合えて、なおかつ、その意見を尊重する人こそが本当の友達ではないでしょうか。
気を遣って言いたいことが言えない間柄は、真の友達関係とは言えません。
私は「友達」の数の多さを自慢するのではなくて、真の友達の数を自慢したいですね。