人生って何があるかわからないですよね。
私は以前勤めていた職場(会社ではなく団体)を20年間勤めたあと、体調を崩して退職しました。
うつ病が主な原因です。
その後、6か月くらい自宅でゴロゴロしていたときに、就労移行支援事業所を見つけて通所することになりました。
就労移行支援事業所とは、簡単に言えば障害者の就職を支援するところ。
私は1年3か月、通所して総合人材会社(派遣会社)に就職しました。
目次
障害者として採用された。給料が安い
うつ病が長引いて繰り返し症状が出ることから、私は「反復性うつ病性障害」という障害名が名付けられました。
ですから、派遣会社に就職したときは障害者として採用されました。
私としては、一般的に就職するよりも障害者として採用されたほうが都合が良かったわけです。
一方、会社としても障害者を一定数雇用する義務がありますから、双方にとって都合が良かったわけです。
ただし、障害者雇用という理由のみではありませんが、給料が安いんですよね。
障害者として気遣いされ「ちやほや」されますが、給料が安い。
給料が安い点を除けば、天国のような会社でした。
短期の契約を繰り返す「有期雇用」労働者
給料が安い点を除けば、居心地の良い会社で4年間を過ごしました。
この4年間は3か月の契約を更新し続ける「有期雇用」としての採用でした。
多くの障害者が働く会社でしたが、いつ体調を崩すかわかりません。
会社としては、一定のリスクを背負っているわけです。
もちろん、私は、短期の契約を繰り返すこのような働かせ方には賛成できません。
期限の定めのない無期雇用にすべきと考えます。
ただ、有期雇用でも5年間が経過すれば無期雇用に転換する義務が生じますから、なんとか無事に5年目を迎えられるかどうかは関心事の一つです。
その5年が視野に入ったときでした。
「商工会で働かないか」と打診されたのは。
転職を打診される。酒を呑みながら
2021年12月上旬、メールが届きました。
差出人は、以前の職場(団体)で働いていた同僚からでした。
同僚といっても、私より20歳以上上の「先輩」です。
「商工会で人を探しているときに、あなたのことを思い出しました。連絡ください」と。
帰宅してすぐに電話しました。
「まあ、一度話だけでも聞いてみないか」とのことで、2日後に会うことになりました。
久しぶりに会った「先輩同僚」は年はとったものの、変わらず元気でした。
酒を呑みながら、現在の商工会の状況を聞いたうえで「一度、考えてみる」と返事しました。
一気に退職モードへ。話がどんどん進む
考える方向はある程度決まっていました。
商工会に転職する方向で、です。
ただ、私には障害があります。この点を抜きにして転職は考えられません。
話を聞いたときも、障害のことは大きなハードルであることを話していました。
しかし、商工会の役員会では「障害があっても、来てくれるなら歓迎する」との結論でした。
「それほど、人に困っているのかな」と思いながら「障害についてある程度理解があれば良い」と思いました。
で、一気に退職モードに変化しました。
話を聞いてから5日後にはマネージャーに退職したい旨を話しました。
話はトントン拍子に進み2021年12月31日付けで退職することになりました。
最後に
人生の転機の一つである「転職」。
私は派遣会社に就職したときは「定年まで働く」と思っていました。
しかし、53歳を過ぎたにもかかわらず、「転職」の話が舞い込んできました。
自分で予想というか、頭の片隅にもなかったことが現実に起こりました。
人生って何があるかわからないですね。
商工会は定年がありませんから、何歳までという区切りはありません。
自分としては長く働きたいと考えつつ、老後をゆっくりしたいとの思いもあります。
まあ、先のことはわかりませんから、一日一日を一生懸命働きたいと思います。