数年前に「嫌われる勇気」という書籍が話題になりました。
アドラー心理学の紹介ということで私も読んだのですが、いまいち本質に迫ることができませんでした。
ただ、「嫌われる勇気」を持とうと思ったのも事実。
当時私は50人近い従業員がいる職場で働いていました。
そのすべての人に好かれようと差し障りのない言葉を選んだり、頼まれごとを断ったりしなかったのです。
その結果、疲れてしまってうつ病が悪化したこともありました。
目次
人間って誰にでも好かれるということはない
人間社会では誰からも好かれるということはまずありません。
あなたのことを好意的に思う人もいれば、そうでない人も一定数はいます。
ですから、全方位的に好かれようとするのは無理な話で、一定数を「切り捨てる」ことが必要になってきます。
ちょっと過激な表現になりましたが、このように思っていたほうが良いです。
「自分らしく生きる」ということを最優先に
全方位的に「良い人」を演じようとすればするほど、自分というものがなくなっていきます。
自分を押し殺してまで「良い人」になる理由はありません。
どんどん「自分らしさ」を失っていくのです。
「自分らしく生きる」と思えば、ある程度の人に「嫌われる」ことが出てきます。
数年前の私は「自分らしく生きる」ということから程遠くて、「どうしたら嫌われずに済むか」ということばかり考えていました。
それで疲れてしまったんですよね。
ですから、体調を崩したときに「もう、全方位的に好意的な人間を演ずるのはやめよう」と思いました。
ネットでも言いたいことを言う
現実の世界でも言いたいことは言いますし、ネットでも言いたいことを言っています。
そのことで「友達」を失うこともありました。
でも、言いたいことが言えない「友達」って「真の友達」と言えるでしょうか。
私は「友達を解消したいと思うならそうすれば良い」と思っていますので、去る人を追うことはしません。
でも、このように振る舞うことで随分と楽になりました。
「嫌われる」一方で、以前より「好かれる」ことも多くなりました。
最後に
「嫌われる勇気」。
人間が快適に生きていくために必要な事かもしれません。
もし、「嫌われることを避けている」「みんなに好かれたい」と思い過度に周囲に気遣い疲れを感じるのなら、一度人間関係の「断捨離」をしてみてはいかがですか。
「自分らしく生きる」ということを優先にして「嫌われても良い」と思うことから始めることが大切です。